たまにしか書かない詩人のように 

詩のようなもの、これらの恥ずかしい日常に。  恐怖に目覚めたら嗤うがいい辛くなったら感性の目覚めを喜べ、羽を手に宿命の鍵を拭け

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この詩人ー野澤 一

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 灰

灰を食べましたるかな
灰よ
食べてもお腹をこはしはしないかな
粉の如きものなれども
心に泌みてなつかしいものなれば
われ 灰を食べましたるかな

しびれのいほりにありて
ウパニイの火をたく時
この世の切なる思ひに
灰を舌に乗せ
やがて 寒々と呑み下しますのなり
このいのちの淋しさをまぎらはすこの灰は
よくあたたかきわが胃の中を
下り行くなり

しづかに古(いにしへ)の休息(いこひ)を求め
山椒の木を薪となして
炉辺に坐れば
われに糧のありやなしや
なつかし この世の限り
この灰は
よくあたたかきわが胃をめぐり めぐりて
くだりゆくなり

野澤 一(ノザワ ハジメ)
1904(明治37)年生まれ。24 歳のとき、四尾連湖で生活するために法政大学を中途退学。5 年近くの独居生活を経て東京に戻り、湖畔在住中に書きためた詩約200 篇をまとめ『木葉童子詩経』と題し自費出版。1945(昭和20)年、終戦をみることなく41 歳の若さで病没。

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この詩人--種田山頭火

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 四月一日 晴――曇。

徹夜不眠、しゆくぜんとして寝床から起き上つた、あゝ、どんなに思ひ悩んだことか。
反省自覚。――
節度ある生活。
小鳥がいろ/\来ては鳴く、鶯も鳴いてゐる。
私にも春が来てゐるのだが、何となやましい春!
青春のなやみと老境のなやみ、だいたい、老境にはなやみなんどあつてはならないのだが。
身心共に貪るなかれ、たとへば微酔にあきたらないで泥酔にまでおちいることもホントウではない。
食慾減退、とても大きな胃袋の持主の私なのに。
蜂がしきりに鳴いてそこらを飛びまはる、おまへもまた落ちつけないのか。
街へ油買ひに、ついでに入浴、さつぱりした、のうのうした。
春、春、春、まつたく春だ。――
さくらもちらほら三分咲き、金鳳華咲いてこゝかしこ。
そして議会はとつぜん解散になつた。
何もかも動揺してゐる、私自身のやうに。
夕方、暮羊君来庵、先夜の脱線ぶりを互にぶちまけて笑ふ(私はむしろ泣く気持だ)。
人生はひつきよう泣き笑ひらしい。
招かれて、いつしよに行く、奥さんの手料理でほろ/\酔うて戻る。
自浄吾意、――そこに建て直しの鍵がある。
猫が虎のやうになる――なりきらないところに、そこに悲喜劇の科介マヽがあらはれるのだ。
今夜も眠れさうになかつたが、何となく気が明るく軽くなつて、明方ちかくなつて睡れた。
夜をこめて恋のふくろうのたはむれ、彼等は幸福だ、幸福であれ、といふのも人間の愚痴だらう。
□アルコールは離れがたマヽない悪魔だ。
 酒を飲むことは、酔うて乱れることは、私の Karma だ。
□狂か死か、それとも旅か(今の私を救ふものは)、或はまた疾病か。
□死線を超えるごとに、彼は深くなる、それがよいかわるいかは別問題だ。
□そこに偶然はない、必然があるばかりだ。
□時としてはよい種子も播け!
   今日の私の買物
一金十五銭  石油三合
一金十一銭  マツチ大函
一金十銭   ハガキ五枚
一金五銭   切手十枚

┌いとなみ――労働┐
│        ├たのしいはたらき
└たはむれ――遊戯┘



其中日記(十)より

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戦前日本の俳人。よく山頭火と呼ばれる。自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・種田正一。1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)
大正15年寺を出て雲水姿で西日本を中心に旅し句作を行い、旅先から『層雲』に投稿を続けた。1932年(昭和7年)郷里山口の小郡町(現・山口市小郡)に「其中庵」を結庵したが、体調不良から来る精神不安定から自殺未遂を起こす。その後東北地方などを旅した後、1938年(昭和13年)には同町湯田温泉内の「風来居」、さらに1939年(昭和14年)松山市に移住し「一草庵」を結庵。翌年、この庵で生涯を閉じた。享年58。

------------------------------------------------------------------------Wikipedia-------

この詩人--石垣りん

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シジミ

夜中に目をさました。
ゆうべ買ったシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。

「夜が明けたら
ドレモコレモ
ミンナクッテヤル」

鬼ババの笑いを
私は笑った。
それから先は
うっすら口をあけて
寝るよりほかに私の夜はなかった。



  
  崖

戦争の終わり、
サイパン島での崖の上から
次々に身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体栽やら
何やら。
火だの男などに追い詰められて。

とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまににする)

それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。



   くらし

食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙



  その夜

女ひとり
働いて四十に近い声をきけば
私を横に寝かせて起こさない
重い病気が恋人のようだ。

どんなにうめこうと
心を痛めるしたしい人もここにはいない
三等病室のすみのベッドで

貧しければ親族にも甘えかねた
さみしい心が解けていく、

あしたは背骨を手術される
そのとき私はやさしく、病気に向かっていう
死んでもいいのよ

ねむれない夜の苦しみも
このさき生きてゆくそれにくらべたら
どうして大きいと言えよう
ああ疲れた
ほんとうに疲れた

シーツが
黙って差し出す白い手の中で
いたい、いたい、とたわむれている
にぎやかな夜は
まるで私ひとりの祝祭日だ。



  銭湯で

東京では
公衆浴場が十九円に値上げしたので
番台で二十円払うと
一円おつりがくる。

一円はいらない、
と言えるほど
女たちは暮らしにゆとりがなかったので

たしかにつりを受け取るものの
一円のやり場に困って
洗面用具のなかに落としたりする。

おかげで
たっぷりお湯につかり
石鹸のとばっちりなどかぶって
ごきげんなアルミ貨。

一円は将棋なら歩のような位で
お湯のなかで
今にも浮き上がりそうな値打ちのなさ。

お金に
値打ちのないことのしあわせ。

一円玉は
千円札ほど人に苦労もかけず
一万円札ほど罪深くもなく
はだかで健康な女たちと一緒に
お風呂などにはいっている。



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石垣 りん(いしがき りん、1920年(大正9年)2月21日 - 2004年(平成16年)12月26日)は、詩人。代表作に「表札」。

東京都生まれ。4歳の時に生母と死別、以後18歳までに3人の義母を持つ。また3人の妹、2人の弟を持つが、死別や離別を経験する。小学校を卒業した14歳の時に日本興業銀行に事務員として就職。以来定年まで勤務し、戦前、戦中、戦後と家族の生活を支えた。そのかたわら詩を次々と発表。職場の機関誌にも作品を発表したため、銀行員詩人と呼ばれた。『断層』『歴程』同人。

第19回H氏賞、第12回田村俊子賞、第4回地球賞受賞。教科書に多数の作品が収録されているほか、合唱曲の作詞でも知られる。

--------------------------------------------------------------------------Wikipedia-----



この詩人--中島敦

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憐れみ讃ふるの歌


ぬばたまの宇宙の闇に一ところ明るきものあり人類の文化

玄々たる太沖(たいちゅう)の中に一ところ温かきものありこの地球(ほし)の上に

おしなべて暗昧(くら)きが中に燦然と人類の叡智光るたふとし

この地球(ほし)の人類(ひと)の文化の明るさよ背後(そがひ)の闇に浮出て美し

たとふれば鑛脈(こうみゃく)にひそむ琅玕(ろうかん)か愚昧の中に叡智光れる

幾萬年人(ひと)生(あ)れ継ぎて築きてしバベルの塔の崩れむ日はも

人間の夢も愛情(なさけ)も亡びなむこの地球(ほし)の運命(さだめ)かなしと思ふ

學問や藝術(たくみ)や叡智(ちゑ)や戀愛情(こいなさけ)この美しきもの亡びむあはれ

いつか來む滅亡(ほろび)知れれば人間(ひと)の生命(いのち)いや美しく生きむとするか

みづからの運命(さだめ)知りつゝなほ高く上(のぼ)らむとする人間(ひと)よ切なし

弱き蘆(あし)弱きがまゝに美しく伸びんとするを見れば切なしや

人類の滅亡(ほろび)の前に燦然と懼(おそ)れはせねど哀しかりけり

しかすがになほ我はこの生を愛す喘息の夜の苦しかりとも

あるがまゝ醜きがまゝに人生を愛せむと思ふ他に途なし

ありのまゝこの人生を愛し行かむこの心よしと頷きにけり

我は知るゲエテ・プラトン惡しき世に美しき生命生きにけらずや

屹(きっ)として霜柱踏みて思ふこと電光影裡(でんこうえいり)如何に生きむぞ



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中島 敦(なかじま あつし)1909年(明治42年)5月5日 - 1942年(昭和17年)12月4日、東京帝大国文科卒、作品は「山月記」「木乃伊」「文字禍」「歌集・和歌でない歌」など、33歳で早逝、気管支喘息だった。

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